詩吟の歴史

詩吟はいつ、どのようにして始まったのでしょうか。詩吟の起源からひも解いていきます。
詩吟の起源
詩吟のはじまりは、江戸時代後期です。私塾や藩校で、漢学の勉強や精神修養のため、漢詩の素読(朗読)に素朴な節をつけて、吟じられるようになりました。
特に、教育者の広瀬淡窓が私塾「桂林荘(咸宜園)」の塾生に歌わせた吟法(節回し・節調)が、口伝によって各藩に伝えられ、全国へ波及していったと言われています。
幕末の詩吟
詩吟が大いに盛り上がるのは幕末でした。時事を憂い、自らを励ますために、幕末の志士たちによって悲憤慷慨の漢詩が作詞され、吟じられました。
彼らは詩吟をして心魂錬磨・士気高揚を図り、それが明治維新の原動力の一翼を担ったとも言われています。
吉田松陰の辞世の詩、高杉晋作らの漢詩は現在も詩吟として吟じられています。久坂玄瑞は美声で詩吟が上手だったそうです。
詩吟の盛衰
明治期
明治初期は、政界をはじめてとして一般にも詩吟は愛好され、琵琶にも詩吟が取り入れられました。一方で、自ら詩を作る人は次第に少なくなっていきました。
大正期
大正期は琵琶が盛んになり、反対に詩吟は衰退していきました。当時の傾向として、流行歌などの西洋音楽に対抗して、詩吟を音楽的に純化しようとする試みが始められました。
木村岳風(日本詩吟学院の祖)らによって、詩吟の音楽化、洗練化への模索が行われ、現代の詩吟の原型が作られた時期でした。
昭和初期
昭和初期〜戦中は、政府が国民精神の作興に力を入れ、国威高揚のものとして軍や学校の中に詩吟が広められていきました。
そして吟調は雄渾(雄々しく勢いがあり力強くよどみない)となり、技巧化、大衆化へ向けて進んで行きました。
戦後
戦後は、GHQにより軍国調として一旦排斥されました。しかし、政治家や多くの賢人の努力によって、詩吟は古今の名詩を味わう日本の伝統芸能として復活します。
昭和21年、初めてラジオ放送が許され、昭和23年には詩吟大会が開催されました。
昭和27年頃からは、本格的な全国組織が作られるようになります。昭和50年代には全国200以上の流派、400万人以上の詩吟愛好家がいると言われるほどまで盛んになりました。
詩吟レコードの発売やコンクールも開催され、言葉のアクセントや伴奏との調和など、音楽性が重視されるようになりました。
昭和末期〜平成
昭和の終わりから平成にかけては、カラオケの台頭や高齢化などにより詩吟人口は減少していきます。
その一方で、書道吟、茶道吟、華道吟、空手吟、構成吟など、様々なスタイルの詩吟も行われていきました。
現在の詩吟
新たな日本ブームやインターネットの普及により、詩吟が若い世代に知られる機会が増えてくるようになりました。
現在は、手軽に楽しめる和の習い事として、幅広い世代に親しまれています。