「古文・漢文はいらないのか?」〜だから私は詩吟がやめられない

2014.04.30

詩の意味について

ナチュラル詩吟教室を始めて3年目くらい、本当に上手になられている生徒さんとの稽古での話し。

とても熱心で素直な方で、そしてずっと「詩の意味には近づけない」と言っていました。私は『詩吟女子』を出版して、彼が少しでも詩に近づけたらな、と期待していました。

本を買ってくれたのですが、「読みましたか?」と聞いても、「まだです」。もう一度「読みましたか?」と聞いても、「すみません、まだです」。今日、三回目の「読みましたか?」を聞くと、「ぱらぱらとしましたが読んでません。読みたくないのです」と言います。

なぜなら、彼は、詩吟を吟じることによって、じわじわと詩に近づきたいのだそうです。「簡単に詩の意味など知りたくはない」というのです。

「読書百遍意自ずから通ず」

それはつまり、「読書百遍(どくしょひゃっぺん)意(い)自(おの)ずから通ず(読書は百編やって自ずとその意味がわかる)」という、詩吟の起こった源流を体現したい、ということ。

私は泣きそうになりました。『詩吟女子』という本でわかりやすく解説するがあまり、詩吟の本意を失いそうな不安が確かにあったからです。本当の詩吟の凄さは、意味以上に目に見えない何かです。

今は、『詩吟女子』を書いたせいもあって、詩吟で吟ずる詩については大筋わかったつもりです。詩の内容に興味を持つようになってから詩吟が何百倍も楽しくなりました。

ただ、それまで25年以上やってきた詩吟生活では、詩の意味なんて考えたこともなかったのです。

簡単にわからない面白さ

ではなぜ、詩の意味も分からず、何十年も詩吟を続けてこれたのか?

それは、本当に何回も何回も何回も同じ詩を楽しんで吟じていると、突如、頭のてっぺんがパカッと割れ(たように感じて)、

「分かった!」

という瞬間がくるのです。これがすごい。覚醒する感じ。(でも、何がわかったのかはわからない)

オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』を読んだときも、まさにこれだと感じました。外国人の著者が日本で弓道を習い始めて、ずっと師匠に「違う」と言われ続けて、あるとき「それだ」となるのです。

これがあまりに感動的すぎて、やめられない。

簡単にわからないから、面白い

あとになって突然、わかったりするから面白い。のです。

またあるときは、突然日常生活の中に詩吟が登場することがあります。詩の世界が、現代の景色や淡い恋心とピッタリ重なって、思わず口をついて出てくるのです。

「これか!」

私もさいしょは詩吟(古文・漢文)の面白さがわかりませんでした。でも「後からわかるんだ!」ということがわかりました。そしてこうやってみんな昔から古文・漢文によって楽しんだり救われたり、古文・漢文と共に生きてきたんだな、ということがやっとわかってきました。

「古文・漢文はいらないのか?」

「古文・漢文はいらないのか?」という大学受験向きの意見がたまに浮上します。では、古文・漢文は役に立たないのでしょうか?そんなことありません。人を強くしてくれるものだと思います。

声に出して楽しんで学べば、生きるために必要な「人前で話す力」「暗記力」「呼吸や姿勢を鍛える力」もつきます。

確かに今すぐ、簡単に役に立つわけではないかもしれません。しかし、古文・漢文によって頭の中の引き出しが深くなっていることは、豊かさを感じる小さな喜びです。

美しい景色や胸が締め付けられるような思いと、ご先祖様たちが綴った美しい日本語が結びつく瞬間は、どんなに寂しいときも「孤独ではない」と感じさせてくれます。

だから私は、詩吟がやめられません。

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